凝り固まった愛を叫ぶ。

地方のお茶の間にてアイドルを愛でている。NEWS+増田貴久君溺愛。頭が固い。たまに現場にもいる。

SNSで感じてきた壁とJOY。

2012年に新生NEWSが始動してから2018年で6年目に突入。

2018年9月でNEWSはデビュー15周年を迎える。

 

記事にもしたが、私は増田君がJr.時代から大好きだ。彼がNEWSの一員に選ばれたことがNEWSファンになったきっかけ。NEWSの初期、9人時代からずっと見続けてきている。

見てきてはいるが、それはメディアを通じて。いわゆるお茶の間ファンだ。

私は日本の大きな離島・北海道に在住し、20代前半でシングルマザーとして生きることになった。家庭環境も複雑で親子関係も良好ではない。幸い自分の娘とは平和な関係。

10代から大好きなアイドルは心の支えだけれど、生きていく為には好きなことばかりを優先出来なかった。切り捨てなければならないことも多かった。他者がどんなに羨ましくても、自分のやりたいことを見送るのは当たり前だった。自分の人生だから自己責任だ。

 

自分と対極にいる現場主義の方を尊敬している。

大好きな子の現場があれば駆けつけ、コンサートや収録に参加し、団扇で彼らにメッセージを伝える。情報を敏感に察知し、ファン同士のネットワークも確立する。仕事も好きなことを優先できる環境に調整している。そういうファンが彼らをダイレクトに支えてきた。誰にでも出来ることではない。行動力も資金力も素晴らしい。

反対に私は直接的に参加できていない。

自分がお茶の間ファンだと自覚はある。

ヲタクと名乗るにも半端なファンだ。

現場至上主義の方から見ると、ゆるくてファンと名乗ることさえ許せないかもしれない。

勿論、Jr.から現場で見届けていた方と肩を並べようとは思っていない。多くを語るべきではないと思っている。どんなに好きでも当時のリアリティを多く知らない。

Jr.時代は運良くバックについていた公演に参加出来なければ直接見ることも出来なかった。

他者のレポで必死に把握する、テレビ番組を追う、地元の現場に参加するのがやっと。

リリースされたものを無理の無い範囲で厳選して手に取る。

当時入っていたFCも環境の変化時に継続出来ず、一度流している。落ち着いてから再入会した。

NEWSはデビューイベントの握手会が地元でも開催されたお陰で奇跡的に参加できたが、イベントがあっても参加できないのが普段の私。遠征も簡単ではない環境だ。あの当時の奇跡の握手会は今でも心の支え。

どんなに参加したくてもNEWSのファーストコンサートには参加出来なかった。首都圏のみで開催される正月コンサート等も参加できない。友人がパンフレットや団扇を代行してくれることが嬉しくて感謝していた。Ya-Ya-yah、WSでコンサート映像を見ることが楽しみだった。

02年頃は生活混乱期。

03-04年頃は環境調整期。

資格取得の為の通学・勉強・再就職活動。子供の預け先を決めたり環境が激変していた。

人生の辛い時期、アイドルは心の支えだった。彼らの歌や笑顔にたくさん励まされた。

メディアを通じて、たまに来てくれるコンサートの地元公演。どれだけ彼らに励まされたか知れない。素敵な笑顔が沈んだ心をどれだけ明るく照らしてくれたか。感謝してもし足りない。その笑顔や歌声、姿からパワーを貰い、また現実と向き合おうと思えた。次に彼らに会えるまで現実と戦おうと思えた。

家電も手元になくて録画物を諦めていた時期に助けてくれた周りの仲間。コンサートに声をかけてくれたり。たくさん周りに助けられた。

きっと私のような人は他にもいるだろう。

それぞれに事情があって、参加したくても現場には向かえない。けれど長く見守ってきたファンが。私みたいなファンもいるよと、ひっそり発信している。

 

ゆるいお茶の間ファンの自分だが、様々なファンの方と大好きな気持ちを共有することは大歓迎。

仲間を増やしたいけれど、コミュニティは広がらないのが現実。人付き合いも得意ではない。現実世界だと周りに共通の趣味仲間は存在しない。広い北海道、同じ道内の友人でも簡単に会えない距離。

相方のように一緒に行動していた実妹も今は存在しない。学生時代から数年前まで行動を共にし、一緒に楽しんでいたと思っていたのだが、違った。周りからも仲の良い姉妹だと言われていたが、彼女から見た私は違った。

病的な要因もあるが、私という存在が彼女を苦しめるのだと知った。妹の新しい家族からも攻撃され、揉めた。数年前からこの問題も暗く影を落としている。今は理解を求めるのではなく、離れることを選んだ。それが彼女の平穏になるならその方が良い。

幼少期より親から否定されて育ち、大切に思っていた身内から否定され、孤独と向き合う人生。この年齢になった今でさえ、親から「お前という人間は存在していることが迷惑だと自覚しろ」と説教される。母からは私を娘と思っていないと言われて育った。娘は妹だけだと。

何で自分は生まれてきたのかと思い悩んだ時期もあるが、考えても結論は出ないので開き直っている。基本的に逞しい。

他者から否定されることは常で、肯定されることの少ない人生。それを黙って受け止めるしか術がなかった。否定された分努力して結果を出そうとしてきた。

普段の生活は職場と自宅の往復。

遊びに行くと親の逆鱗に触れる。出戻った際に親からの条件を飲んだので、今では友達と会うことも滅多にない。

趣味は無駄遣い、許せないと批判される生活。

娘以外と会話の殆どない生活。

コンサートも隠れて通っていた。

楽しいを共有したいのに、出来ないもどかしさ。

SNSは満たされないこの欲求を救ってくれる奇跡のツールだった。

 

気持ちを文字にして残す。

整理する。

全国、全世界、本来なら繋がることの難しい距離の方とコミュニケーションがとれる。

誰かと好きな話題で盛り上がれる。疑似会話が出来る。

少しずつ広がったネット上でのコミュニティ。

助け合える優しい気持ち。

嬉しかった。

誰かと「好き」と「楽しい」を共有できることが嬉しかった。

ネット上での会話がとても嬉しかった。

幼児しか話し相手が居なかった頃、特にSNSの会話が生活のほとんどだった。自宅では娘としか会話はないのだ。

王様の耳はロバの耳で、現実世界で吐き出せない気持ちをネットにこぼす。

文章にして気持ちを整理することは心のバランスをとるために必要だった。

 

でもSNSは万能ではない。

悪意もたくさん受けてきたし、見た。

使い方を誤るとたちまち苦痛に変わる。

自己防衛をしながら細々と行動した。

私の「楽しい」は誰かの「不快」になることを知った。

私の「現実」は誰かの「不快」になる。

アカウントの使い分けをすることも学んだ。

嘘を平気でつく人は山ほどいる、誰かを利用することが当たり前の人も山ほどいる。悪い人はどこにでも潜んでる。

過去の話題は自慢と受け取られたり、誤解も生む。

日記も消し、自分のためのメモブログも消した。Twitterは鍵もかけた。

私はSNS上で無名の存在だ。

面識もない人が大半。

ファンとしても微妙な立ち位置なのは理解している。最近はファン同士のマウンティングが活発だ。

私は余程非常識さを感じなければ、ネット上でもコミュニケーションを気軽に取りたいと思っていた。気になる発言に積極的に話しかけていた時期もある。

自分が声をかけていただくとお返しする。

コミュニケーションを楽しんでいた。

反対にそうではない人もいる。

私がSNS上で話しかけることを不快に感じる人がいると徐々に理解した。

SNSにはコミュニケーションを取らずに文字を読んで楽しむ人がいることは知っていた。

けれどそれだけではないと知った。

気軽に話しかけてはいけない層もいるのだと学んだ。

相互に繋がっている人としか会話しない方はたくさんいる。鍵が無い状態で挨拶をしても、話しかけても応答がないことは良くあった。楽しそうに会話する輪に参加できたら素敵だと思っても、そこは誰でも参加して良い場所ではないのだ。

個々で築き上げたコミュニティに第三者は簡単に入れてもらえない。

当たり前だった。

 

そのうちに積極的に話しかけることをしなくなった。

確かに自分は有意義な内容も呟かない。

夜勤をした、帰宅した、レコが逼迫しただの、仕事や日常のことが大半。家庭内のダークさもつぶやく。趣味だけのアカウントでもない。レポを流すでもなく、情報や画像、イラストを流すでもない。基本的にはタレントの肖像権を荒らしたくないので写真はアイコンにも使わない。でもネットにあげる人を非難もしたくない。

私は今でも気軽にコミュニケーションを取りたいと思う質なので、気の合いそうな方は相互として繋がる。挨拶も不要だし、離れるのも好きにしてもらいたい。ブロックされることも度々ある。ブロックすることもある。

 

その方の話題に興味を持てる場合、相互にならずとも一方的にツイートを拝見させてもらっている。相互にならないということは相手からは興味を持たれていない。それで構わない。

チケットを譲る話題には多くの方が飛びついてくることも理解した。特に嵐のチケットは譲りに出しても、探しても批判される。

グッズ列にいると知らせると限定グッズを代行して欲しいという要望が知らない方からも届くと知った。

ものを譲渡しても、取引しても、フォロワー数の多い方と自分が相互になることはまずないのだとも知った。SNS上の仲間になるには個々の選別基準がある。

自分が助けてもらったように困っている人に手を貸したいと行動すると、しっぺ返しにあうことも知った。救済の声かけは選ぶことも必要だった。譲渡不成立になると攻撃されることも多々ある。

一般的にTwitterはフォロワー数=影響力のある方、ファンの中でも素晴らしい方という扱いだと把握した。

そういう方は助けてもらうことを多く経験している。良かれと思った私からの声掛けを喜ぶ人ばかりではない。救済は貢物と受け取られることも何度もあった。フォロワー数が多くても丁寧に扱ってくださる方もいた。気さくにお付き合いしてくださる方も多数いた。

私はフォロワー数だけでなく、その方の思考に興味があるか、コミュニケーションを取ってみたいか、中の方が人間的に興味が持てるかで判断していた。どうやらそうではない方も多いのだ。影響力のある方と繋がりたい人はたくさん存在する。

フォロワー数が多くなくとも面白くて学べるアカウントは無数にある。私は自分の感覚を貫く。相互に助け合える、励まし合えるそんな仲間に出会えたことに感謝して大切にしていきたい。

私の「正しい」は誰かの「正しくない」なのだ。

 

色々あったが、私はSNSに救われている。

こうやってブログに気持ちを吐き出してまとめることで気持ちを整理している。自己満足だ。

誰が読んでくれているのかは感想をいただかないと具体的に把握はできないけれど、私の自己満足を誰かが読んでくれている。カウンターに数字が残る。

通りすがりや、コミュニケーションを取らない方も大歓迎だ。

Twitterで繋がっている方ばかりがここに来ているわけではないだろう。もしかしたらフォロワーさんも遊びに来ているのかもしれない。

公開しないほうが良いと感じたら消したり、非公開はタイミングで考える。

感想をいただけるのも、何度も遊びに来てくださるのも、読者登録も当たり前ではない。幸せなことだ。

 

私は自分が好きではない。でも自分を受け入れて向き合っていかねばならない。

親から慈しまれるのは当たり前ではない。

それを良く知っている。

娘だけは初めて私に愛情を真っ直ぐ向けてくれる存在で、とても不思議な感覚。

それはとても幸せなこと。

私も娘に「大好き」だと、味方だと伝えている。

 

ファンとしての自分を誇大評価だけはしないようにと戒めている。

昔のことを偉そうに語れる立場でない。

そのくせ時間だけは長く見守ってきているから思い入れは強い。

ファン歴は単純に自分の辿ってきた歴史の長さ。自慢語りに受け取られないことを願っている。

現場には各時代参加している。でも数は少ない。

メディアは自分の生きる糧として手元に残している。それでさえ生活混乱期などは録画出来ない時期もあった。

レポは巧みに流せない、ネタバレ含めあれこれ気になって結局断念する。

嵐界隈は古参VS新規バトルに疲れ果て、

Y&Jでは脱退騒動の度に繰り返されるバトルに嘆いた。

嵐は怖くなって信頼できる人とのみ関わり、引きこもった。今では話題にほとんどあげない。

 

NEWS界隈は少し独特な雰囲気。

簡単に書き出すだけで、何種類にも分かれる。

新生NEWS以前にファンだったか、以降にファンになったか。

新生NEWSを最初から見てきたか。

パーナか、そうではないか。

NEWS嬢だったか。

NEWSは人員体制が大きく変化してきたから、タイミングはファン毎に異なると思う。

どの人員体制からのファンなのか。

各メンバー個人のJr.からのファンか。

そしてどこにでもいるようにアンチもいる。

 

どこからファンになろうが私は大歓迎だ、かたちは人それぞれ。

抱く感情は個人で違う。

新生NEWS、4人になってからのNEWSがNEWSの歴史の中で最も長く活動している現在。

あの頃一番長かった6人時代を超えた。

ファンを構成する勢力図は変化している。

4人の彼らから入ったファンはかなり多い。素晴らしいことだ。彼らの功績だ。

世間にもNEWSは4人グループと浸透してきた。

コミュニティは自然と自分に近い人が集まるものだ。

Jr.からの現場主義。

デビューからのガチ勢。

9、8、7人時代。

Y&Jからのファン。

6人時代からのファン。

新生NEWSの現場を全て追いかけてきた人。

4人のNEWS後追い。

自らをパーナと名乗る層。

それぞれの界隈に有名なファンがいる。

そしてコミュニティは築かれている。

そんな様々なファンが、自然とNEWSを「好き」な気持ちで結束して、行動に移したり、コンサートでの流れに結びつくことが素晴らしいと思う。思考や主義のベースが異なってもNEWSが「好き」で何かをしたい、力になりたいと想う気持ちは共通。

 

私は新生NEWSファンとしても重要な現場に参加していない。秩父宮初日公演にも、チャンカパーナリリースイベントにも参加できなかった。

「美しい恋にするよ」は奇跡的に地元がオーラス会場だったためオーラス公演に参加した。たまたま地元だったからだ。

NEWSにとって念願の東京ドーム公演、10thアニバーサリーにも参加していない。ツアーも地元公演に入るので精一杯。

リリースされるものは大量購入出来ない。

販促活動も役に立たない。

レポも、鋭い考察も出来ない。

面白いことも言えない。

テレビ番組も地方の壁で全ては見られない。むしろ助けてもらってばかりだ。助けてもらえてなんとか追えるものを追う。

全部見てきたよ、応援してきたよと胸を張れない。

それでも彼らが大好きなのだ。

こんな頼りない私でも、彼らのファンだ。

 

私に一貫していることは、増田貴久君が大好きな気持ち。

彼の所属するNEWSを見ていたい気持ち。

仲間がいたら楽しいだろうなと思うことはたくさんある。

コンサートの申込み、相方という響き。

助け合える方々を素敵だと思う。憧れの眼差しを向ける。

特に映像鑑賞会をしている様子には羨望しかない。

とても楽しそう。楽しいと好きを語り合いながら集まることに、憧れる。

打ち上げをしたり、定期的に集まったり。

でも自分にはその環境はないのだから仕方ない。

地元公演でさえコンサートが終われば速やかに帰宅しなくてはならない。娘以外には詳細も伝えていないし、親からはコンサートを批判されるのでコンサート後の興奮を隠して何事もなかったかのように過ごさなくてはならない。

昨年、強行した遠征計画。その際に周りにたくさん助けられた感謝と、たまにしか会えないけれど素敵な友達への感謝の気持ちは忘れない。稀に開催できる友人との交流が楽しみで仕方がない。

実際にオフ会は難しいが、せめてSNSで楽しく交流できたらなと思っている。

私はSNS上でとっつきにくいのかもしれないし、日常の話題が大半なせいもあるだろう。殆ど交流も無い。

まさにつぶやきを淡々と投下している。

結局は全てが自己満足なのだ。

 

よく見かける仲間同士の楽しそうな輪。

オフ会。

コンサート時の集い。

私は声をかけてもらうと嬉しくて楽しみにしてきた。結果的には度々振り回され、選から漏れる話を以前に触れた。もう自分が参加することに無理はしないけれど、集まりは楽しそうだなと見ている。

新生NEWSを最初から全力で追いかけ、現場を見守っている方々の結束力。強い思い。

新生NEWS後追いの方々の素敵な繋がり、絆。新鮮な喜びや感動。ファンへの呼びかけ。

楽しいを分かち合える存在がいる。

どれもこれも素敵だなと思っている。

自分では気がつけない彼らの魅力や、喜び、鋭い考察、観察眼に胸打たれることは多い。

 

NEWSの何かに対して感想を抱く時、どうしても昔の記憶、当時の想い出も繋がってくる自分。

ネガティブな気持ちで過去のことを想うのではないけれど、あの頃こうだったなと記憶が連動する。それは避けられない。

通り過ぎてきた過去があって、今がある。

過去の曲が再録されるのもそう。

否定的に感じていないけれど、どこか切ない気持ちも残る。

生まれ変わった作品の魅力も素敵だし、今だからこその表現や声の魅力も好き。

でも、過去の作品もやっぱり大切な宝物。

過去は自分の中で絶対に無かったことにならない。

みんな、大切。

どちらが良い、どれが一番ではない。

今も、過去も全部大切。

過去を知らないファンも多くなってきた今、自分が抱くこの気持ちは少数派になったのだろうか。

 

こうやってこの感想ブログを始めること、残すことで、余計な壁を与えてしまわないかを考えたりもした。

お茶の間の自分が語ることが許せない層があるのだろうなとも考えた。

それでもどこかに吐き出したい「好き」の気持ちを吐き出している。

誰かに認めてもらえなくても、諸手を挙げて受け入れてもらえなくても、自分の中で好きな気持ちは変わらない。

スマホでちまちまと書き溜め、投稿するスタイル。

ブログ機能の活用も出来ない、誤字脱字も目立つ。何かと下手くそだけれど、自己満足の自己表現の場所。ここに随分と救われている。

彼らを不器用なスタイルで見守って、ゆるく見続ける自分もいつか好きになれたらと思う。

NEWSのファン、増田貴久君のファンとしてどこかで誰かに受け入れてもらえていたら嬉しい。

 

増田君とNEWSが大好きで、見ていたい気持ちは隠さない。

例え力は小さくとも、大好きな気持ちは声高に叫んでいこうと思う。

どこかにいるかもしれない、自分と同じようなファンの元に届くといいな。

好きな気持ちを語り合う相手が近くにいなくて、名の知れた存在でもなくて、持てる力も小さくて。

だけど彼らを好きな気持ちはあって。

その気持ちをどこかに吐き出したくて、受け止めてもらいたくて。

誰かの淋しい気持ちや不安な気持ちに寄り添えていたら良いのに。

私は話したくても話せない気持ちをSNSにぶつけて、救われている。

 

自分と異なるタイミングでファンになった層ともたくさん交流が持てたらなと夢見ている。難しいのかもしれないが。

自分の「好き」な気持ちが誰かの「好き」に繋がって、喜びへと結び付きますように。

己の拙い感想が誰かの「JOY」になれたら素敵。

私のように淋しい誰かの気持ちに何らかのかたちで寄り添えていたら素敵。