凝り固まった愛を叫ぶ。

地方のお茶の間にてアイドルを愛でている。NEWS+増田貴久君溺愛。頭が固い。たまに現場にもいる。

EPCOTIAリリースおめでとう&Thunderの衝撃②

※①からの続き。

 

今では驚きの事実だが、初期のNEWSは全メンバーにソロ楽曲の音源が存在していない。デビュー時はメンバーが9人と今より多かったこともあるが、人数が6人まで減っても変わらなかった。一部メンバーのみ音源が収録されていた。

私は増田君が大好きだったから、ソロ曲はコンサート披露だけでなく、音源を待ち望んでいた。彼の歌声が大好きなのだ。大好きな増田君のオリジナルソロ曲を音源で楽しめるようになるにはカバー曲、デュエット曲、ユニット曲、リードボーカル曲などを経てだ。時間が必要だった。

4人体制のNEWSになり、アルバムにメンバー全員のソロ曲が収録されるようになった。それがとても幸せで嬉しかった。

 

アルバムがコンセプチュアル化していく中で、ソロ曲はメンバー個人が見せたいものに特化するようになった。

ソロ曲はコンサートのセットリストに組み込まれる。色とりどりのカラー、雰囲気のかけ離れたソロ曲たちをどうコンサートに組み込んでくるのか。巧みな演出も毎年楽しみにしている。コンサートのセットリストに違和感なく溶け込み、ソロ曲として見せ場が確立されていることに脱帽させられる。

 

今年の増田君のソロ曲は『Thunder』がタイトル。

雷、雷鳴、脅威、威嚇、怒号、非難。

直訳含め、タイトルから連想されるワード。

彼自身はラジオ等で今年のソロ曲はしっとり歌い上げる曲なのか、ガシガシ踊る系なのかとはぐらかしていた。このとき既にソロの楽曲は固まっていたはず。

こうやって増田君の手のひらで転がされているのはとても心地良い。大好きな人の思う壺で構わない。彼のちょっとした一言や仕草ひとつでファン心理は直ぐざわつく。

後に私たちはタイトルが『Thunder』だと分かる。

タイトルから連想されるワードでファンはあれこれ想像し、実際に曲を聴く日を待った。雑誌で彼自身が最後まで喉が持つか心配になるような曲だともヒントをくれていた。踊るのか踊らないのかを気にする人も多かった。どんな衣装なのかを予想する人も見かけた。

ソロ曲に想いを馳せている時間も幸せだ。

 

昨年は山下達郎さんの名曲『FOREVER MINE』が増田君のソロ曲。

彼がコンサートでカバー曲を披露するのも久しぶりだったが、ダンスを封印し歌うことに専念した初めてのソロ曲。彼がずっと大切にしてきた歌。増田君の魅力のひとつであるキレのあるダンスを封印して、歌のみでステージに立つ。改めてシンガーとしての増田貴久、その声の表現する力と声の持つ繊細な魅力に感動したのが昨年。

今年はどんな増田君の世界を描いてくれるのか。彼の生み出すものには信頼しか寄せていない。彼のこれまでが信頼へ繋がっていた。

私自身もどんなテイストの曲なのか、コンサート演出はどうなるのかあれこれ想像を巡らせて、楽しんでいた。楽しい想像は幸せを与えてくれた。

 

初めて『Thunder』を聴いた時、この曲のメッセージ性の強さと、その歌詞の持つ意味、魂の咆哮のように叩きつけてくる声とラップに強い衝撃を覚えた。

まさに雷に打たれたような、私は背後から鈍器でガツっと殴られたような衝撃さえも感じた。

とても強い、強い力を持つ楽曲だった。

聞きながら涙が出ていた。

感動の涙ではなく、苦しくて切なくて涙が出た。悲しみではない。

 

こんな強いメッセージ性のある曲をソロ曲として歌うようになったこと、表現できるようになったことには感動も覚えた。

私はとてつもない人に惹かれてしまった。出会ってしまった。それは幸せだ。

楽曲としてとても格好良い。増田君の好みの楽曲でもあるだろう。分かりやすく派手な華やかさは無い。けれど、心に強く響く曲。聴いたあとそれぞれの胸に爪痕を残していくような。ジャニーズのアイドルのソロ楽曲として珍しいタイプの曲調。アイドルによるアイルドルへのアンチテーゼとも取れるような強い、強いメッセージ性。

 

恐らくコンサートに参加する人は、今年のツアーでこの曲をステージで表現する増田君の姿を見ることになる。

この曲に直接触れたあと、彼がこの曲のパフォーマンスで踊っても、踊らなくてもどちらでも構わないと感じていた。そんなことは問題にはならないと。

この曲を表現したい、挑もうと思ったその意味。彼に何か真意、目的があるのではないか。そう感じるのは私の思い込みなのかもしれない。深く考えずアイドルである自分がメッセージ性の強い曲を歌うことが格好良いと考えてパフォーマンスするのかもしれない。(きっとそんな単純ではないだろうけれど。)

まだ何も分からない。

仮定でしか語れない。

他人の私には分からない。

それでも。

自分の目で、目をそらさずにしっかり見届けたい。彼の歌う姿を自分で見届けて、そこから伝わるものを感じたい。

しっかり見届けよう、怖くても。誰に表明するでもなく決意した。

自覚しているが基本的に重たい思考回路だ。

 

増田君は自分から自分自身のことで何かを詳しく語ることを積極的にしない。相手から問われて最低限度の情報をくれる。メンバーの加藤君が表現豊かに文章で直接自分の考え方、気持ちを詳しく伝えてくれるのと対照的。その個性の差もNEWSの魅力だと思う。

増田君は仕事や作品から個人で自由に感じ取ってと彼自身をこちらに想像する余白をくれる。作品に向き合う実直な姿、プロとしてのパフォーマンスを提供してくれる。

増田君は愛想がないわけじゃない。むしろその逆だ。作り笑いを感じない、最高の癒やし効果抜群の笑顔をくれる。メンバーや周りのスタッフさんへの心配りや信頼関係も窺い知ることができた。いつも話題は彼からではなく、周りから聞こえてきた。そんな彼を人として尊敬している。アイドルだからではない。それは言い切れる。

自分を知ってもらおうと語ることは手短にできるPR。着飾ったり背伸びすることも可能。でも増田君はそれをしない。不器用と言われればそうなのかもしれないが、彼なりのアイドル像とアイドル論。

仕事に向き合う姿が最高に格好良いと惹きつけられてきた。彼をもっと知りたいという探究心を刺激される。増田貴久というアイドルの成長する姿は、驚きと喜びと尊敬に満ちていた。彼を見ていることが大好きだ。

時々雑誌やラジオでキーとなる言葉をこぼす。意外なところで重要なキーワードを放つ。Web連載が始まったときは嬉しかった。仕事と連動した企画ではなく、増田君個人の自由なコーナー。彼の言葉から勝手気ままに連想ゲームをすることは私の心を踊らせてくれた。

 

今よりメンバーが多い時代、テレビでも雑誌の誌面でも、増田君の分量は少なかった。ほとんど発言が無いこともあった。それでも姿が見られることに喜びを見出していた。アイドル誌だと増田君個人にスポットも当たる率が多く、購読は楽しみだった。

増田君個人のラジオが始まることはファンにとって大きな救いだった。喜びだった。増田君個人の考えや発言が彼の声で聴ける。残念ながら私は地方に住んでいる。試聴できない地域。当時はレポートを貪るように読んだ。SNSスマホが普及して音源が後から聴けるようになり、恩恵にあやかった。今もそうだ。

あちこちから言葉を集め、自分なりに増田君の思考を汲み取ってきた。ファンとして自分なりに彼を知りたかった。彼のパーソナリティに興味があった。

10代、20代、そして迎えた30代。どの年代の彼も魅力的で夢中だった。

私が見てきた増田君は彼の一部。

それ以上でも、それ以下でもない。

知ったつもりになってはならない。

自分が見てきた彼は間違いなく、私が大好きな増田君だ。例えそれが本当の彼自身じゃなくても、自分が大好きだと思った感覚は確かだ。自分が見てきた彼を大好きだと思う。

ファンが、私が見るのは仕事を通して知り得る、アイドルとしての「増田貴久」のほんの一部。彼は個人としてのすべてを世間に晒さないだろう。着飾りもしないけれど、晒さない。アイドルとして裏で取り組むすべても明かさない。オフショットにも積極的に現れない。それでも、これまでの彼の姿から彼の人間味が滲み出ていたように感じ取っていた。

増田君は大概、仕事で証明してくれる。エンターテイナーとして、アイドルとして、シンガーとして彼の仕事ぶりは魅力的だった。惹きつけられてきた。

彼の与えてくれる余白であれこれ自分なりの人物像を作り上げていた自覚はある。それも増田君のファンの醍醐味であると思ってきた。

だからこそ。

Thunderを聴いて、ガツンと衝撃を受けたのだ。

彼自身が徹底して作り上げてきた増田貴久というアイドルが『Thunder』を歌うことの意味。

自ら理想像を確立してきた、アイドルとして生きてきた増田君が歌うからこそ、より強く心に響く内容。

 

私は難しい考察が不得手だ。でも誰かの考えや考察、推察を読むことは好きだ。

Thunderは多くの増田君ファンの心を強く揺さぶった。様々な解釈、Thunderの世界が展開されていた。

増田君は歌を歌うとき、その曲の主人公になり感情移入して歌うと話をしていた。彼の歌には曲に合わせてたくさんのキャラクターが存在する。表現者としての彼の凄さでもある。声色も歌い方もバリエーション豊富だ。

ではThunderはどの視点で、どんな感情で歌ったのか。想像の範疇にしか過ぎないけれど、考えを巡らせた。

Thunderは増田君の歌う楽曲の中で、より個としての増田貴久色の強い曲に思えてならなかった。誰かの視点じゃなく、増田貴久個人の目線により近い人物像を連想させた。

それは私の主観であり、彼の真意ではないかもしれない。私の感じたものだ。

この曲のメッセージ性に嫌悪や不快感は抱かない。裏切られたとも、傷ついたとも感じなかった。突然考え方が変化したとも思わなかった。

アイドル増田貴久ではない、個人としての主張はあって然るべき。もし歌を通してでもファンに、世間にそれを曝け出してくれたなら、私は自分なりに考えて受け取りたい。

Thunderは彼自身が楽曲の雰囲気、景色、イメージするワードを制作陣に直接伝えて楽曲制作したようだ。

世間一般がイメージしている「増田貴久」という存在への挑戦状とも受け取れるような強い意思表示を孕む歌詞。

 

増田貴久はまっすー。

増田貴久はアイドル。

増田貴久は笑顔。

増田貴久は温厚。

増田貴久は穏やか。

増田貴久は優しい。

増田貴久は可愛い。

増田貴久は歌が上手い。

増田貴久はダンスが魅力的。

増田貴久の歌声は甘い。

増田貴久は服が好き。

増田貴久はオシャレ。

増田貴久はノースキャンダル。

 

では「まっすー」とはどんな人?

笑っていれば温厚なの?優しいの?

本当に温厚だけなの?

ノースキャンダル=彼に恋愛経験は無いの?

可愛い彼には棘はないの?

彼の内面には何が潜んでるの?

笑顔の中の感情は本当に笑顔だけ?

反対の問いかけをすればキリがない。

 

きっと世間一般の抱く彼のイメージはどれも全部これまで仕事で見せてくれた増田君の一部。本音をしまいこんでいたのかもしれないけれど、作られたキャラクター、嘘や偽りだとは思えない。

でも彼はそれだけじゃない。

Thunderを聴けば聴くほど、彼の抱いていた感情を想像してしまう。彼が見せないだけで、彼の中で常に渦巻いていた感情。

もしかしたら実際にはそんな意味は含まれてないかもしれない。なのに深読みをしてしまう。

 

デビュー前からただ直向きに、文字通り真っ直ぐ努力し、己を磨き成長する姿を見せてくれた。発言も誠意に満ち、温かいものが多かった。ファンの存在、声援を嬉しく思うと伝えてくれていた。彼はファンを大切に思ってくれていると感じていた。実際に常にファンの目線で物事を発信してくれたり、考えてくれる人だ。

 

面白おかしく増田君にはキャラがないと一時期揶揄された。キャラ探しをいじってもらえてスポットライトは当たる。でもファンとしてはもどかしさもあった。それは哀れみとは異なる感情。彼を可哀相だなんて上から目線で見てきた自覚はない。

増田君は地道に、コツコツとアイドルとして、エンターテイナーとして、NEWSの地盤を固めていた。大好きな服飾も好きなだけで留めず、衣装デザインとして仕事に結びつけていた。勉強熱心で柔軟な学ぶ姿勢。現場にたくさん足を運び、知識を吸収してくる。

増田君は最高夢中にさせてくれる素敵なアイドルだ。

幅広い交友関係にも驚かされた。全て自分の仕事に還元してくれる。NEWSのコンサート監督としての手腕の発揮。歌うこと、表現することに直向きで貪欲。彼を向上心の塊のように感じていた。

 

私にはステージの上で歌って踊る「増田貴久」という存在は唯一無二の尊い存在に思えていた。

彼の生み出す世界、髪の毛先、指先、服の裾ひとつ、全てに研ぎ澄まされた表現者としての息遣いを感じてきた。マイクを持つ指先、踊るときのちょっとした関節の角度や動き。歌う声色。彼を構築する全てが特別輝いて見える。私は増田貴久という存在を自分の目で見ることを生き甲斐としてきた。彼を見ている時間は至福のひと時。

 

アイドルは偶像崇拝と同義だと感じている。

私が見ているその人は人間。けれど、ステージの上では偶像崇拝対象であり、その人を崇め、尊敬し、尊く感じてきた。

彼が個人として、プライベートの顔は別に存在することも理解していた。理解していたつもり、だ。見せないだけで、増田貴久個人として、自分と住む世界は異なっても自由があるべきだとも思う。表舞台に立つ以上、何をしても構わないとは思わないが、人としての尊厳はあって当然。そこにファンとして我が物顔で踏み込みたくはない。本人が明かさないことは知らなくて良い。その気持ちは絶えず忘れずにいた。

人間生きていれば楽しいことばかりじゃない。嫌なことも葛藤も同じように感じるだろう。周りに見せなくても、ある。

だから、できるだけ幸せに暮らしていて欲しいなと願っていた。好きな服や友人に囲まれて、心地よい住環境で過ごして欲しい。仕事をして楽しいと感じていて欲しい。ファンがいて心強いと思って欲しかった。

これは勝手なお世話だ。一方的な私の感情。彼の扱いにもどかしさを感じるのも、幸せを願うのも全部私の勝手な気持ち。誰からも頼まれたことはない。

私のような気持ちはファンとして重たすぎるのかもしれない。本人が知ると鬱陶しく感じる瞬間もあるのかもしれない。偶像崇拝のように見ている自分は重荷になるのかもしれない。でも私のようなファンは数多存在するだろう。

やはり結局は「かもしれない」論だ。仮定でしか語れなくなる。

私は「増田貴久」個人を知らない。

今後もプライベートの彼を知ることもないだろう。

 

彼自身のことを身勝手な固定観念で凝り固めてしまわないように、ファンとして心がけてはいた。そのつもりだった。頭は固いけど、そのことは忘れないようにしてきた。

私が見ている「増田貴久」は彼の一面に過ぎない。

仕事としての増田貴久。

アイドルとしての、増田貴久。

Thunderを歌う増田君も、仕事としての姿。

彼を知ったように語ってはならない。ファンである自分が彼自身の身勝手な代弁者になってはならない。戒めてきたつもりだった。

でも、本当に自制できてきたか。

私は彼の負担になるファンではなかったか。

自分へ問いかける。

こうやって書き綴ることもたまに立ち止まる。

自分の中に彼に対して勝手に抱いていた人間像はあった。本人に伝えることはなくとも、彼がこうだったら素敵だと考えてしまう。勝手な理想像を作り上げていたことは否定しない。大好きなこの人の素顔がこんな人間性であってほしいなと考えていたのは事実。

私は「増田貴久」個人を知らない。

だから「アイドル増田貴久」から「増田貴久」個人のパーソナリティを探ろうとしてきた。

そのことは恥ずかしいと思わない。知りたい気持ちは避けられない。大好きだから、知りたいから自分なりに知ろうとする。正直に行動した結果。自分なりに調べたり想像してきた。

 

最近のソロ曲は増田君が全幅の信頼を寄せているRyohei Yamamotoさん中心で制作が行われている。今年も同様。

Ryoheiさんの楽曲を歌う増田貴久はとても格好良い。個人的にも大好きだ。増田君の魅力全開のソロ曲シリーズ。

Thunderは英語詞が多い。

増田君は耳で聴いたものを表現する脳力に長けているのだろう。発音がとても素晴らしい。

そしてThunderはラップが多い。

このラップが増田君のこれまでNEWSで表現してきたラップと毛色が異なる。

魂を削り叫ぶ、咆哮のような強いラップ。

綺麗に奏でる声ではなく、力強く、がなるような声色。

彼個人の考えかのような、世間への警鐘ともとれる歌詞。

増田貴久個人からファンへの問いかけにも受け取れる。昨年のNEWSメンバーの騒動を踏まえると皮肉にも聞こえてくる。

 

私は自英語が得意ではない。日本語しか話せない典型的ダメな日本人。グローバル社会に対応しきれていない。

Thunderを初めて聞いたときは何となくの知識で曲の持つ雰囲気や意味を感じ取っていた。自分なりに曲を解釈したくて歌詞カードを読む。脳内で翻訳し、ますます深読みをしてしまう。もっと知りたくて自宅の辞書を総動員した。ネットの力も借りつつ自分なりに和訳した。和訳したら更にガツンときた。重たく響いた。

自分的スーパー翻訳になってしまった可能性もある。英語の訳は解釈が個人で異なる。英語詞の比率を増やすことで直接的な表現を上手く中和している気もした。それが増田君の表現する世界に合うように思えた。和訳は個人で解釈の差があるから、こちらに想像する余白を与えられている。そういうところが増田貴久的だと思う私は、やはり思考が凝り固まっているのか。

自分のファンがこうやってあれこれ考えることを分かった上で、メッセージ性のある歌を選択したのかもしれない。そうではないのかもしれない。私の中で「かもしれない論」は止まらなかった。

 

私は増田貴久という虚像を描いていた?

私は本当にアイドルを一個人、人間として扱っていた?

私は彼を偶像崇拝のように尊く感じてきた。それは理想を押し付けていたと同義?

彼にカリスマ性やスター性を見出して押し付けていた?

曲を咀嚼するように繰り返し聴く。

叫ぶような彼の声を何度も聴く。

ありとあらゆる自問自答のスパイラルに陥ってしまった。私は〜してきた「つもり」になって、実際には矛盾が生じてなかったか。

Thunderに含まれるメッセージ性の是非ではなく、アイドルのファンでいることの在り方を真剣に考えていた自分自身のここ数年とリンクしてしまった。自分にとってとてもタイムリーな問題でもあった。

Thunderの歌詞が私に突き刺さった。

私は大好きな人の負担なのだろうか。

 

"Live in someone's dream pretending to be someone real?"

No!My life is My LIFE!!!

見くびるな 自分で支配するんだ

 

"Hurting under smile and loosing identity?"

NO…哀れむな いちいちフラついてられないんだ

 

Am I still your star?

Still your charisma?

Am I still your hope?

Still your hero?

 

ダサい大人になりたくなくて

周りにも流されたくなくて

吐き出したい言葉飲み込んで

たまにはトボけたピエロも演じて

 

I'm like you,like you,like you,like you…

 

I'm just a man I like you…

 

Still your dream?Glory?

Still your faith?

Fantasy?

 

バイアス越しに何が見えるの?

その情報誰が流してるの?

破れる傘で何を凌ぐの?

当たり前のように雨は上がるの?

 

歌詞の一部抜粋。

突き刺さる歌詞。

NEWSファンとして勝手に抱いていた劣等感と向き合い、時間をかけて消化した経過。ジャニーズタレントの結婚ラッシュ、退所なども重なり、あれこれ考える機会も多かった。

これまで暗黙のルールでファンサイドが「当たり前」と感じていたことは実は当たり前じゃないのだとも強く感じた。

最近は「応援する」という言葉への引っ掛かりを悶々と考えていた。何をするにも大義名分を探して、自己肯定感を満たしていなかったか?私は驕ってはいないか。

ファンの在り方に多様性があっても良いのにと感じることが多かった。彼らの恥となるファンは論外だが「ファンならこうあるべき」の押し付けを窮屈に感じる方だ。

性別は異なれど、私はアイドルに求めている姿がなりたい自分、憧れの姿に近い。自覚しているのはそれだけ自分も年齢を重ねた証か。

自分はコンサートを生きるためのモチベーションとし、アイドルを見ることで生きる糧にしてきた。好きだという純粋な気持ちだけじゃなく、辛い家庭環境、現実を忘れたいと逃避行動も含まれていることに気がついてもいる。勝手に、一方的に救いを求めている。

救いを求める対象は誰でもいいわけじゃない。大好きなアイドルは実際には神様じゃなくても特別なのだ。

ファンであることは相手に頼まれて選んではいない。自分が望んでファンとして存在している。

改めて自分を省みる。

省みたところで彼に抱く憧れは消えない。

 

私は増田君を、NEWSが好きだ。

だから見たい。

その欲求を満たしたい。

才能を見たい。

提供される作品、容姿だけでなく仕事への姿勢が好きだ。彼らを見ることで喜びを見出し、一方的に救われてきた。

自分自身が先入観で決めつけられたり、意見を押し付けられたら不快なように、アイドルだって同じ。

アイドルは人間。

人として自分と同じように暮らしている。

個人の尊厳を踏みにじりたくはない。

それでもアイドルは自分にとって特別な人だ。

ファンであること、エンターテイナーとしての増田君を特別視してしまうことはやめられない。やめられないのだ。

自分を情けなく思う。何かに縋って生きている。強くなりたいのに、なれない。救いや楽しみなんてなくても人生楽しい!自分で切り拓く!と言い切れない弱い人間。

 

増田君自身が「まっすー」からの緩やかな脱却をしているのかな、と感じることは近年多かった。たまにここでも話題にも触れてきた。ゆっくりシフトチェンジしていると感じてきた。

増田君がこれまでファンに見せなかった面をどんどん放出してくれる。歌で感情の放出を躊躇わずにしてくれる。その成長を喜ばしく感じてしまう。ちょっとだけ淋しいと思うこともあるけれど。嬉しいのだ。

私が増田君を知った頃の彼と、現在の彼の内面は違う。大きく成長しているだろう。顔つきも全く違う。逞しくなった。仕事への基本姿勢は変わらない。彼の芯がぶれないところを心から尊敬している。

とうとう実家暮らし設定も脱却した。以前なら引き受けなかったような仕事も難なくこなしている。

彼の成長過程として、私はどんな一面も見ていきたいとも思っている。考え方や有りたい姿、見せたい姿が変化するのは当然だ。彼がその時にそうしたいと思ったことを受け入れていきたい。そういう自分でありたい。どうしても受け入れることが無理だと思う日が来たら、それはその時に考える。恐らく、そう思うことはないとも思っている。

 

ここ数年、もし増田君がアイドルでいる事をやめたら、彼の作ってきたアイドル像から卒業したら、ステージに立たなくなったら私はどうやって生きるかを考えてきた。その覚悟もゆるゆるとしていこうと考えてきた。あくまでも仮定として、だけれど。

まだまだアイドルとしての増田貴久という人を欲しているから、彼にはアイドルでいて欲しいとわがままを通したくなる。

ファンでいたい。いさせてほしい。

可愛くて、格好良くて、セクシーで、男らしくて、温かくて、強い。

どんな色もまだまだ見ていたい。

もし弱くても、脆くても。本当の姿が分からなくても。

あの頃の幼かった増田君が若くて素敵なアイドルだから惹かれたのではないと今では良く分かる。逞しく成長する肉体美、強い視線。外見も素敵。たまに覗かせる不安そうな顔も抱きしめたくなる愛らしさだった。でもそれだけじゃない。どっしりとした真っ直ぐなその生き方に憧れた。誰でも良いわけじゃない。彼は私にとっての「特別」なのだ。新しく他の誰かを依り代にしたいと思えなかった。

相葉さんが大好きで見続けていた中で、たくさんのJr.の中から増田君を見つけた衝撃。どうしても視線を持っていかれる。この人を知りたい、もっと見たいと思った強い衝動。容姿もその才能も、直向きに努力する姿勢、成長する姿。何もかもに夢中だった。彼を知ってから幸せが増えた。

あれ以降、特別なJr.は見つからない。

これからまたそんな存在に出会える日が来るのだろうか。ジャニーズアイドル以外でも他にそんな強い衝撃を覚える存在に巡り会えるのか。素敵だな、可愛いなと思う存在はいても、増田君のように強く感情を揺さぶられる存在にはあれから出会えていない。

増田君は自分が特別に好きになる最後のアイドルなのかもしれないとさえ思うようになっている。

増田君が一日でも長く歌い続けてくれますように。ステージに立ってくれますように。増田君がアイドルを卒業しても、彼自身を見たいという気持ちは揺るがないと思う。例え彼の人生に大きな転換期がおとずれても。

どうか彼がエンターテイメントのお仕事に長く携わってくれますように。これからも彼の知らなかった一面を見る機会が増えますようにと願ってもいる。もしこのお仕事をしなくなっても幸せに暮らして欲しいと思うくらいには重たいファンである。

 

Thunderを歌う増田貴久も彼自身。

恋する惑星で「一生のお願い♡」とキュートに歌うのも増田貴久の一面。

バラエティでクシャクシャ笑顔で笑う姿も、美味しそうに食べ物を頬張る姿も、みんな増田貴久なんだろう。

どれもこれも魅力的で目が離せないのは確かな現実。例え自分が作り上げた虚像を好きになっていたとしても、後悔はない。私が見てきた、増田貴久という存在を大好きな気持ちは嘘じゃない。

世間に彼の魅力が広まって、もっともっと広い世界を自由に謳歌してもらいたいとも願っている。

結局彼の虜であり、大好きなのだ。

 

ありがたい事に私はEPCOTIAツアーに参加できる。

直接自分の目でThunderをパフォーマンスする増田君を見ることが叶うであろう。コンサート参加後にまた心情が変化するのかもしれない。

今は柔軟に受け止められるように心のウォーミングアップをしていこうと思っています。

アイドル増田貴久という存在がとてつもなく格好良くて、素敵なことを知っている、それは事実だ。

 

こうやって自分の感情に素直な感想を綴ると、また「気持ち悪い」と思われるのかもと心の何処かで考える。でもThunderへの感想は残しておきたかった。

深く考えずに「増田君素敵!」と素直に受け止められる大きな器はまだ私には無いようだ。自分なりに思考を巡らせ続けるのだと思う。